学舎

 私は田舎町の小さな中等学校を出た後、成績の良さと、母の教育熱心が手伝って、市内の進学校を受験することになった。

 病弱だった私は、幼少期ほとんど市街を訪れたことはなく、受験のために久方ぶりに訪れた都会は、相も変わらず無機質に、残酷に、無垢な10代の少年を拒絶しているようだった。私はエルサレムの地を訪れたムスリムのように、肌の色も髪の色も違わない都会人達が町を闊歩する姿を、あからさまに異質なものとしてどこか客観的に見ていた。

 私がその後陰鬱な青春期を送ることとなる高等学校は、繁華街を抜けて閑静な住宅街を20分ほど歩いていった小高い丘の上にあった。鬱蒼と茂る雑木林に囲まれた学舎は、大正時代に建設されたらしく、県の文化財に指定されるほどであった。今時珍しい一階建てで、美しい朱色に塗り染められた木造りの壁に、ところどころペンキが剥げかかった檜が剥き出しになっており、そこにカビとも苔ともつかない深緑の模様が染みついていた。

 私が何よりも心を惹かれたのは、さほど広くないグラウンドの片隅に一本だけある琵琶の木で、夏には貧相な橙色の実をならす皺がちの老人の下で、私は休み時間の大半と見学を許された体育の時間を、ぼうーっと魂が抜けたように青々と輝く空と吹けばちぎれそうなか細い雲を眺めながら過ごすこととなった。

ー序ー

 私は幼い時分から父としっくりこない所があった。正確に言うと、父が時折浮かべる神妙な面持ちに、私に対する愛の欠如をつぶさに感じ取っていた。

 故郷は、県下の中心部からはかなり遠い、しがない田舎町である。生家は取るに足らない平凡なもので、近くの高等学校で社会の教鞭をとる父と、それを支える専業主婦の母との間の次男坊だった。姉が一人と、弟が一人。どちらも特別秀でた人物でもなく、噂の落第生、不良という訳でもなかった。

 父母の夫婦仲はお世辞にも良いとは言えなかったが、母はよく父の面倒を見ていたように思う。父は仕事の教職以外は取り立てて才能の無い男で口数も少なく古風な頑固親父を絵に描いたような男で、時折母に暴力をふるったが、母は不平不満をこぼすこともなく、尽くし世話していた。姉は不器量な女で性格も暗く学校には友人も少ないようであり、何かにつけ比較される私を目の敵にしていたため、私はなかなか馴染めず、深い話をしたことも殆どなかった。対照的に弟は私にべったりと懐いていて、どこに行くにも後ろをべったりとついてきたために、両親だけでなく、決して多くない私の友人からも甘やかされて、どこか頼りない男に育ってしまった。

 私はといえば、分不相応に勉学だけはできるくせに、幼いころは体が弱く病気がちで、どことなく儚げな、不幸せそうな少年であった。

出発の刻

 煙草の煙がか細いおぼろげな姿を示しながら漂って雪に同化していった。私の前に揺らめいているこの蜃気楼のようなちぎれた雲が、呼気なのか、煙なのか、見分けがつかなくなった。ーこれか。ここに至るまで私はかなり時間を喰ってしまったー

 

 市街から路面電車で一時間足らず行ったところに、そのさびれた船着き場はあった。行楽シーズンはとうに過ぎており、今は、その島の美しい景観を楽しむよりは、寒さが身に染みてしまう季節だ。船を待つ人の姿はまばらで、私の他には、鳶職の男たちが数名と、老夫婦が一組いるだけであった。

 職人たちは互いに口を利かずに、皆一様にむすりとしている。これから島に行って、シーズン前に旅館やら売店やらの諸々の修復作業に向かうのであろう。さして旨い仕事でもなく、かといって何かと仕事が少ないこの時期に無下に断る訳にもいかず、進まぬ気持ちを無理やり奮わせて仕事場に赴く彼らの心情を射すかのように、空はどんよりとどす黒く陰り、ただでさえ晴れない私の気持ちをより一層曇らせた。

 老夫婦は柔和な笑顔を浮かべながらぽつりぽつりと言葉を交わしている。彼らの周りに流れている暖かな緩やかな空気だけが、真冬の岸辺を照らしていた。

 何に興味をそそられるわけでもなく、私は自然と、この師走に、終着点の見えない旅に身を任せた契機に思いを馳せ始めていた。

執筆

 小説を書こうと考えているのだが、手書きで執筆するのは大層で煩わしく、Wordでちびちびと推敲しつつ作成していくのも何かが違う。気の向くままに、こうしてブログ形式で執筆というか更新していきたいと思う。タイトルは「布袋葵(ほていあおい)」。父子の物語である。拝