学舎

 私は田舎町の小さな中等学校を出た後、成績の良さと、母の教育熱心が手伝って、市内の進学校を受験することになった。

 病弱だった私は、幼少期ほとんど市街を訪れたことはなく、受験のために久方ぶりに訪れた都会は、相も変わらず無機質に、残酷に、無垢な10代の少年を拒絶しているようだった。私はエルサレムの地を訪れたムスリムのように、肌の色も髪の色も違わない都会人達が町を闊歩する姿を、あからさまに異質なものとしてどこか客観的に見ていた。

 私がその後陰鬱な青春期を送ることとなる高等学校は、繁華街を抜けて閑静な住宅街を20分ほど歩いていった小高い丘の上にあった。鬱蒼と茂る雑木林に囲まれた学舎は、大正時代に建設されたらしく、県の文化財に指定されるほどであった。今時珍しい一階建てで、美しい朱色に塗り染められた木造りの壁に、ところどころペンキが剥げかかった檜が剥き出しになっており、そこにカビとも苔ともつかない深緑の模様が染みついていた。

 私が何よりも心を惹かれたのは、さほど広くないグラウンドの片隅に一本だけある琵琶の木で、夏には貧相な橙色の実をならす皺がちの老人の下で、私は休み時間の大半と見学を許された体育の時間を、ぼうーっと魂が抜けたように青々と輝く空と吹けばちぎれそうなか細い雲を眺めながら過ごすこととなった。