学期始め

 それから私の高校生活は始まった。

 相変わらず私には社交性というか人間性が欠如しているようで、なかなか同級の秀才達とは馴染めなかった。自宅から校舎までの通学にかなりの時間を要するため、文武両道を掲げる母校において珍しく何の部活動にも所属しない生徒であったことにも一因があるのかもしれない。ただ、私にとってはそのような閉ざされた団体に与しないことはむしろ救いであった。

 「一年進学B組」それが私の学級であった。生徒は42名であったと思う。綺麗にニス塗りされた明るいクリーム色の床に暗い緑色の深海のような黒板、紫檀色の教壇、ところどころ錆のかかったねずみ色のロッカー、それが私の社会であり、世界であり、逃げ場の無い監獄だった。

 特段光る才能を授からなかった私は、勉学だけは、どうやら、人並み外れてできるようであった。同窓生が四苦八苦している数学の難問をさらりと解いて見せれば、歴史などは一度教本を読めば大体の流れは頭に叩き込まれるというように、なんということはない、とりわけ強い向上心をもたないにも関わらず、学期末の総合考査では常に同級の中で上位に位置していた。そのため、授業の内外を置かずほとんど言葉を発することがなく目立たない存在であった私だったが、特に、優秀な生徒達にとっては一目置かれる存在であった。見当違いの競争意識でも抱いていたのであろう。稀にではあるが、共産社会主義の合理性がどうだ、テロルは社会を変える推進力足り得るのか、進歩派の知事団の登場は一過性のものなのかそれとも日本の権力構造の限界を暗示しているものなのか、とかいう途方もない議論を吹っ掛けらることがあった。当の私は社会のことはおろか、そも人間に微塵も興味を抱いていないのに。