「いえ」

 母はしきりに学級生活について尋ねた。友人は出来たか、勉強にはついていけているか、良い先生はいるのか、体の調子が許せば体育の授業にも参加し始めてはどうか。

 田舎町で唯一市の進学校に入学した我が子が愛おしく誇らしいらしく、満面の笑みを浮かべながら聞いてきた。私は矢継ぎ早の質問と母の真っ直ぐな感情に、もどかしくも応えることができず、言葉少なに、ああ、とか、うんとかだけ答えていた。

 父はといえば、食事の時くらいしか書斎から出てこないが、数少ない家族との時間ですらも殆ど終始難しそうな顔をしながら母の言葉を話半分に聞いてきた。たまに妻の朗らかさが目に余る時には、一言、うるさい、とぼそりと呟き、その言葉を聞くと母は一瞬はっとしたような顔をして、そして少しだけ顔を曇らせ、すみません、と言って食事が終わるまで黙りこくるのだった。

 私は自分ではろくに話をしないにも関わらず、そのぴんと張りつめた沈黙がたまらなく苦手であった。特別不自由のない生活をしているのに、何かとてつもなく重い枷をはめられているように感じた。私は「いえ」が嫌いだった。