「いえ」

 母はしきりに学級生活について尋ねた。友人は出来たか、勉強にはついていけているか、良い先生はいるのか、体の調子が許せば体育の授業にも参加し始めてはどうか。

 田舎町で唯一市の進学校に入学した我が子が愛おしく誇らしいらしく、満面の笑みを浮かべながら聞いてきた。私は矢継ぎ早の質問と母の真っ直ぐな感情に、もどかしくも応えることができず、言葉少なに、ああ、とか、うんとかだけ答えていた。

 父はといえば、食事の時くらいしか書斎から出てこないが、数少ない家族との時間ですらも殆ど終始難しそうな顔をしながら母の言葉を話半分に聞いてきた。たまに妻の朗らかさが目に余る時には、一言、うるさい、とぼそりと呟き、その言葉を聞くと母は一瞬はっとしたような顔をして、そして少しだけ顔を曇らせ、すみません、と言って食事が終わるまで黙りこくるのだった。

 私は自分ではろくに話をしないにも関わらず、そのぴんと張りつめた沈黙がたまらなく苦手であった。特別不自由のない生活をしているのに、何かとてつもなく重い枷をはめられているように感じた。私は「いえ」が嫌いだった。

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地平線

 私は同窓の者と相対するときに図らずも何がしかのどもりが出てしまい、はじめは面白がる奴もいたが徐々に遠巻きにされるようになった。あいつはおつむは悪くないが関わってもいいことはない、そもじれったくて、煩わしくて、見ていられないといった風に。

 一匙の気不味さと引き換えに私は一服の自由を手に入れた。牢獄のように見えた、意思に反して閉じ込められるという意味においては確かに純然たる禁固状態であるとも言える教室は、意識次第では眼前にだだっ広く広がる広大な野っ原にも感じられた。ぽつぽつと老木が並んで立っている。さながら、人間という獅子やハイエナに見つからぬよう生命を全うしようとするガゼルのように、ふわっふわっと宙に浮いてはだだっと駆けてみせる。思いの至らぬ者は致し方がない。

 そうして、私はますます内と外の別を色濃く硬いものにしていった。外には居心地の悪い現世がただただ漫然と揺らめていて、内には両の手で耳を塞ぎ、目を閉じ、窮屈にそうにしゃがみこんでいる私がいた。

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学期始め

 それから私の高校生活は始まった。

 相変わらず私には社交性というか人間性が欠如しているようで、なかなか同級の秀才達とは馴染めなかった。自宅から校舎までの通学にかなりの時間を要するため、文武両道を掲げる母校において珍しく何の部活動にも所属しない生徒であったことにも一因があるのかもしれない。ただ、私にとってはそのような閉ざされた団体に与しないことはむしろ救いであった。

 「一年進学B組」それが私の学級であった。生徒は42名であったと思う。綺麗にニス塗りされた明るいクリーム色の床に暗い緑色の深海のような黒板、紫檀色の教壇、ところどころ錆のかかったねずみ色のロッカー、それが私の社会であり、世界であり、逃げ場の無い監獄だった。

 特段光る才能を授からなかった私は、勉学だけは、どうやら、人並み外れてできるようであった。同窓生が四苦八苦している数学の難問をさらりと解いて見せれば、歴史などは一度教本を読めば大体の流れは頭に叩き込まれるというように、なんということはない、とりわけ強い向上心をもたないにも関わらず、学期末の総合考査では常に同級の中で上位に位置していた。そのため、授業の内外を置かずほとんど言葉を発することがなく目立たない存在であった私だったが、特に、優秀な生徒達にとっては一目置かれる存在であった。見当違いの競争意識でも抱いていたのであろう。稀にではあるが、共産社会主義の合理性がどうだ、テロルは社会を変える推進力足り得るのか、進歩派の知事団の登場は一過性のものなのかそれとも日本の権力構造の限界を暗示しているものなのか、とかいう途方もない議論を吹っ掛けらることがあった。当の私は社会のことはおろか、そも人間に微塵も興味を抱いていないのに。

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入学式

 ぴかぴかに磨き上げられ、光の筋が幾重にも入ったフローリングの床の上に、皆一様に暗い紺色の学ラン服と同系色のセーラー服の制服を身にまとった生徒たちが立ち並び、校長の話に聞き入っていた。

 背丈の低い校長は、数段高くに設置された教壇の上に威丈高に立ち、優秀な精鋭達を見下ろす魏国の曹操のように小さなその背を反り上げながら、もっともらしく高校生活における教訓を説いていた。燕尾服の裾はふくらはぎまで届こうかというくらいだらりと伸びきって不格好で、特別に床屋に行ってセットしたであろうパリッとした頭髪と対照的でどこか滑稽さすら感じさせた。

 私は、体育館の格子付きの窓から、校庭にきらびやかに咲き誇る数本の桜の脇にぽつんと佇む琵琶の木に、不思議な魅力を感じぼうーっと見とれていた。高さ10メートルにも成長すると言われている種に属する老木は、それよりも更に背の高い桜の木に囲まれ、所在なさげに肩身が狭そうにして立っていた。丈は2メートルにも足らず、初夏を旬とするその実の片りんはまだ見当たらなかった。もしかすると、夏にも何も実をつけないかもしれないと考えさせられるほど老いさらばえた水気の無い木肌に、申し訳程度薄暗い緑色の葉をつけていたが、その容姿は、まるで今日こそが我々の大舞台であると言わんばかりに凛凛としつつ、風に揺られながら軽快なタップを踏んで花吹雪を降らせる桜達に及ぶはずもなかった。

 私はグラウンドの隅にわびしくもの悲しげに屈むその琵琶に、古い考え方の持ち主で亭主関白であるのに元来仕事人間であるために、家ではどこか所在なさげに、何かにつけすぐに煙草をふかしながら書斎に閉じこもる父の面影を映し、普段感じていない父性を、その老木に見出していたのかもしれない。私は、その後の高校生活の大部分をその老人の下で過ごすこととなった。

 そういえば、古くからの言い伝えで、庭に琵琶の木を植えるとその家には病人が出るとか、不幸になるとか言われているようだ。そんな木に愛着を覚え、雨の日は傘替わりに、晴れの日は日なたを求めて、3年も座り続けた私の運気の巡りはどうなっていたのだろうか。

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車窓

 半年後、私は、この日のために仕立てた淡緑色のスーツに黒いバラのコサージュを付け、普段より厚化粧をした母と一緒に、電車に揺られながら高校に向かっていた。入学式だった。

 母親は片田舎から唯一市内の進学校に合格した私が大層誇らしかったらしく、さして興味もない隣人たちにこの「目出度い」出来事を触れ回り、合格通知が届いた一週間後には、村民でこのことを知らない者はいないほどであった。

 私はといえば、どうしても面接で強く感じた担任の嘘くささが頭から離れず、また、知人の一人もいない市内にこれから単身通わなければならないのかという憂鬱も手伝い、愉快な心持とは言えなかった。むしろ、何故母親や教師達から受験を勧められた時にはっきり断らなかったのだろうと、自身の流されやすさを恨めしくさえ思っていた。村の知り合いの子供達からひやかされる度にどこか気まずい、後ろめたい気持ちになっていた。

 高校の入学式へ向かう道すがら、母は終始上機嫌で、学校では一杯友達を作りなさいとか、授業ではしっかりと発言なさいとか、私には土台無理そうなことを晴れやかな口調で言いつけていた。私はそうした母の無理難題に適当な相槌を打ちながら、車窓から広がる風景をぼうーっと眺めていた。山がちで緑の多かった景色は、徐々に色彩が貧しくなり、白やベージュといった地味な色合いの住宅街へと姿を変え、最後には無機質な単一の建造物群に成り果てた。

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受験

 高等学校の入学試験はさほど難しいものではなかった。筆記試験は国語と数学のみで、全ての問題を不自由なく解くことが出来た。問題は、口頭試験というか面接だった。学校長とおぼしき白髪の小柄な老人と、自ら1年の学級主任と名乗ったやせっぽちな男、そして、若い、おそらく入学することになれば担任になるであろう体育会系の男性教師と相対し、大人と触れ合う機会の少なかった私は、きまりが悪く居心地が悪く感じていた。

 学級主任は私の中等学校の成績簿にざっと目を通し、 「中学の成績が非常にいいですね。先生の指導が良かったんだろうな。素晴らしい。だが、体育は見学しているね。どこか体でも悪いのかな。」と、しだれ柳のような痩せ細りゆがんだ体を少し傾けながら私に問いかけた。

 「ええ少し。」

 私は、筋の悪い発声練習のように一文字ずつ区切りそれだけ答えた。校長は相変わらず無表情で、若い担任はきらきらしたまぶしい顔を曇らせ、自分には想像もできない苦境に立たされてるみじめな子供に対する同情の色を大げさに示した。私はその嘘くさい仮面を見て、何てデリカシーの無い男だろうと感じた。

 学級主任は、私の要領を得ない答えが気に入らなかったのか、あいづちとも冷笑ともつかない、ふん、という鼻息を鳴らし、次の質問に移った。それからの会話はいまいちはっきりとは覚えていない。ただ、私の回答に甚だ大層な反応を見せる若い教師が不愉快で、ここに入学すれば3年間この男に付き合わされるのかとぼんやり暗い妄想にふけりながら適当に学級主任の質問に答えていた。

 1週間後、我が家に「合格通知」と赤字で仰々しく印字された封筒が届いた。

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学舎

 私は田舎町の小さな中等学校を出た後、成績の良さと、母の教育熱心が手伝って、市内の進学校を受験することになった。

 病弱だった私は、幼少期ほとんど市街を訪れたことはなく、受験のために久方ぶりに訪れた都会は、相も変わらず無機質に、残酷に、無垢な10代の少年を拒絶しているようだった。私はエルサレムの地を訪れたムスリムのように、肌の色も髪の色も違わない都会人達が町を闊歩する姿を、あからさまに異質なものとしてどこか客観的に見ていた。

 私がその後陰鬱な青春期を送ることとなる高等学校は、繁華街を抜けて閑静な住宅街を20分ほど歩いていった小高い丘の上にあった。鬱蒼と茂る雑木林に囲まれた学舎は、大正時代に建設されたらしく、県の文化財に指定されるほどであった。今時珍しい一階建てで、美しい朱色に塗り染められた木造りの壁に、ところどころペンキが剥げかかった檜が剥き出しになっており、そこにカビとも苔ともつかない深緑の模様が染みついていた。

 私が何よりも心を惹かれたのは、さほど広くないグラウンドの片隅に一本だけある琵琶の木で、夏には貧相な橙色の実をならす皺がちの老人の下で、私は休み時間の大半と見学を許された体育の時間を、ぼうーっと魂が抜けたように青々と輝く空と吹けばちぎれそうなか細い雲を眺めながら過ごすこととなった。

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